親鸞聖人のご生涯をとおして

 法然上人のもとで、聞法を続けておられたある日のことです。親鸞聖人が「私の信心と、師・法然上人の信心とは同じです」と言ったので、多くの先輩僧たちと論争になりました。先輩たちは、「師の信心と弟子である私たちの信心が同じであるとは、とんでもないことだ。師・上人に対して失礼な話ではないか」というのです。
 親鸞聖人は「智慧、才覚、学問では、法然上人におよぶべくもありませんが、信心はみほとけから賜った信心(他力の信心)だから、師・上人の信心も私の信心も同じです」と言って自分の思いを曲げませんでした。
そこへ法然上人が出てこられて「自分のはからいでつくる信心(自力の信心)なら、信心は各人各別ですが、みほとけからいただく信心は皆同じです」と申されました。
また、お念仏は「わが名を呼ぶものは、必ず救いますという阿弥陀仏の呼び声」であり、「その阿弥陀仏のお約束を信受すること(信不退)」が真宗の要であると親鸞聖人は領解されました。このようにして聖人は、自力の限りを尽くした比叡山の二十年間の修行を経て、ようやく法然上人のもとで阿弥陀仏の他力信心を獲得し、往生浄土の道を真っ直ぐに歩み出されたのです。聖人はこの慶喜の決意を「雑行を捨てて本願に帰すと」(『教行証文類』)著され

本師源空よにいでて 弘願の一乗ひろめつつ
日本一州ことごとく 浄土の機縁あらわれぬ  『浄土高僧和讃 (源空讃第1首)』

と讃ぜられたのです。