安楽庵(あんらくあん) 三重県史跡名勝
両御堂の背面に接しているこの庭園は「雲幽園(うんゆうえん)」と呼ばれ、中ノ島をもつ北寄りの池庭と、二つの小島をもつ南の池庭からなり、これを折れ曲がった配置とし、中央の細い流れをもってつないでいる池泉回遊式の庭園である。一面の杉苔、種々の竹木の間を通って、茅葺の屋根をもつ惣門を抜け左に折れると短冊形をした石橋がかかり、ここから飛石づたいに茶席「安楽庵」に至る。作庭年代は、南北朝時代以前とする説があるが、石橋の形式は江戸中期のものである。 茶席は本席と略席の二棟からなり、本席を安楽庵と称する。二畳半に半畳の鱗板を入れた少人数の席で、主人と客席との間に太鼓張りの襖を入れるなど、珍しい趣向が凝らされている。これについては、千利休の長男道安と織田信長の弟有楽齋の合作のためといわれ、安楽庵の名前もこの二人の名前から取られた、との言い伝えもある。また、万治元年(1658)窪田山に建立した席を移築したとも言われるが、いずれにしても江戸時代初期の名席とされている。
津市教育委員会の解説パネルより
※宝物館と雲幽園(安楽庵)の見学は事前の申し込みが必要です。 お申し込みは、総合案内所までご連絡ください
池をめぐる廻遊式のお庭
両御堂の裏側一帯10,750平方メートル(3,250坪)は庭園になっています。正式には「雲幽園」と名づけられているのですが、一般にはお茶席の名をとって「安楽庵の庭」と呼ばれています。 池をめぐって歩く廻遊式庭園で、入口から右へ、竹籔の中の間の苔むした道を進むと、茅葺の門があります。「雀の御宿」へ来たような気分です。門をくぐると、大きな短冊型の延べ石二枚が橋になっていて、そこから飛石づたいに進みます。道が二つに分かれるところに、古風な釣瓶(つるべ)井戸があります。むかし茶席の席の水はここで汲んだのだそうです。 そこから右手に進むと、杉苔が草むした広いお庭で、向こうに安楽庵の書院が見えて、静寂そのものです。道を左手にとると、潜り門があって、そこからが内露地です。砂雪隠や待合があって、茶席へつづくあたりは右の配置一つにも趣向が凝らされていて、この庭の大きなポイントです。 樹の間がくれに見る中の島も風情があります。水際にも石組を全く使わない州浜型(すはまがた)です。言わば自然のままの姿です。
安楽庵パンフレットより
佗びと寂びのお茶席「わびとさびのおちゃせき」
古い六地蔵石幢を火袋に使った珍しい石灯籠の横を通って進みますと、池の縁に蹲踞(つくばい)の手水鉢(ちょうずばち)があるので、そこで手を洗って、飛石をつたってお茶席に向かいましょう。左手の水際に金明竹の群生があります。黄色の軸に緑の斑が入った竹で、この庭の一つの名物です。 安楽庵は茅葺屋根の瀟洒(しょうしゃ)な建物で、踏石の左上に刀掛の棚があります。むかし武士はここへ刀を掛けて入りました。入口はいわゆる「にじり口」で、60センチ四方ほどの狭いところからにじりよって入ります。お席は畳が二畳半で、それに鱗板(うろこいた)と言って、二種類の木を三角形に切って矧ぎ合わせた板が半畳分入っていて、合わせて三畳の小さい部屋です。この鱗板というのは、織田信長の末弟で茶人だった有楽齋長益(うらくさいながます)の好みだった、といいます。 またこのお茶席は中央に白い太鼓張りの襖があって、客席と亭主席との間仕切りになっているのが大きな特徴です。これは千利休の長男道安が、足が不自由だったので、茶道具を運ばせ終ってからこの襖を開いて点前(てまえ)をしたためだ、と言われていて、この形式を道安囲(どうあんがこい)と言います。 このように道安と有楽齋の二人の高名な茶人の工夫が中心になった茶席なので「安楽庵」という名がついたようです。茶道の「佗びと寂び」を味わって下さい。(平松)
安楽庵パンフレットより