ひとくち法話93~102話 ―諸法会―
第93話 修正会(しゅしょうえ)
正月に修する法会なので修正会といいます。年のはじめに心を新たにして、仏前に座し合掌礼拝し、お念仏を申し上げます。高田本山では、元旦から3日間厳修(ごんしゅう)されます。修正会には必ず「繙御書(ひもときのごしょ)」が拝読されます。ひもとくとは巻物のひもをとくという意味です。1年の始めに拝聴する御書のことです。この御書は、第18世の圓遵上人(えんじゅんしょうにん)がお書きになりました。大変な長文です。年のはじめにあたって忘れてはならない仏法の要をわかりやすく説かれており、克明(こくめい)に求道(ぐどう)のこころを諭してくださっています。
その要旨を箇条書きにすると以下のようになります。
1、生者必滅(しょうじゃひつめつ)の道理。寿命は老少不定(ろうしょうふじょう)の世の中だから、新年を迎えて喜んでもいつの間にか夏がきて秋暮れて、また1年が経ってしまう。1日1日を無駄に過ごさぬよう。
2、身にしてはならぬこと、口に言ってはならぬこと、心で思ってはならぬことがある。因果応報(いんがおうほう)の業道(ごうどう)は、秤のように必ず重い方に牽くから身(しん)・口(く)・意(い)の三業(さんごう)を常に慎むこと。
3、 煩悩(ぼんのう)いっぱいのわれらは、他力念仏(たりきねんぶつ)の法に依らねば浄土往生(じょうどおうじょう)は不可能です。この道を誓われた阿弥陀仏(あみだぶつ)、この教えを伝承されたお釈迦さまと七高僧(しちこうそう)の広大な恩徳(おんどく)に報謝(ほうしゃ)せよ。
4、先ずは父母孝養(ぶもきょうよう)の心を第1とし、父母存生(ぶもぞんしょう)の日は孝順(きょうじゅん)を先とし、没後は法事を怠ることなく報恩(ほうおん)につとめよ。そして、六親眷属(ろくしんけんぞく)むつまじく、互いに信心をみがきなさい。
ひとくち法話No93 ―諸法会1― より
第94話 涅槃会(ねはんえ)
お釈迦さまは、35歳の時、さとりを開いて仏陀となられました。それから45年間は、インド各地を行脚(あんぎゃ)して、仏の教えを説き広められました。80歳になって生まれ故郷へ帰られる途中、熱心な信者から供養された食事のキノコにあたって体調をくずし、クシナガラの沙羅双樹(しゃらそうじゅ)の林に休まれましたが、回復されず亡くなってしまいました。その時、阿難(あなん)をはじめ大勢の人々は声をあげて哭(な)き、天地までも大きく揺れ動いたと伝えられています。これらの様子は『涅槃経』に詳しく記されており、それに基づいて描かれたのが仏涅槃図です。
さて、お釈迦さまは今から二千数百年も前に亡くなっており、インド暦の2月の満月の夜のことといわれています。これを現代の新暦の計算で3月15日に相当すると解釈し、高田本山ではこの日に涅槃会を勤めます。
本堂に縦5.5m、横4mという全国的にも巨大で見事な涅槃図を掲げて涅槃会が厳修されます。図の中央の宝台には、お釈迦さまの頭北面西右脇(ずほくめんさいうきょう)のお姿があり、その周りにはあらゆる階層の人々をはじめ、鳥獣(ちょうじゅう)から小虫の蠕動(ねんどう)のたぐいまで、いのちあるものすべてのものまでが集まってきて、お釈迦さまの死をいたんでいます。
釈尊(しゃくそん)かくれましまして 二千余年(にせんよねん)になりたまふ
正像(しょうぞう)の二時はおわりにき 如来の遺弟悲泣(ゆいていひきゅう)せよ 『正像末法和讃第1首』
「悲泣せよ」とは、阿弥陀仏の誓願(せいがん)に目覚めよとのご催促です。
ひとくち法話No94 ―諸法会2― より
第95話 讃佛会(さんぶつえ)
「暑さ寒さも彼岸(ひがん)まで」と言います。春分の日を中心に1週間、秋分の日を中心に同じく1週間、この春秋二季の彼岸は、日本人の心に根付いている心温まる意識です。彼岸は仏典に出てくる言葉で、パーラミターというインド語を訳したものです。彼岸とは到彼岸(とうひがん)の略で、迷いの世界(この世)から悟りの世界に到るということです。この迷いの世界を此岸(しがん)といい、如来の悟りの世界を彼岸と名付けています。
宗祖親鸞聖人(しゅうそしんらんしょうにん)は「人みなこの此岸、つまり人間世界から彼岸への途を歩まねばならない」と申されています。
此岸から彼岸へのこの道は阿弥陀如来ご回向(えこう)の道であります。浄土への道は実は浄土からの呼びかけの道であります。彼岸会はインド、中国にはなく日本独特の法会です。真宗では彼岸の1週間を仏徳(ぶっとく)を讃嘆(さんだん)する場として、また聞法(もんぼう)のご縁の場として大切にしています。
したがってわが高田派でも、彼岸会を讃仏会と称して、仏にお礼を申し、仏を称える法会を勤めているわけであります。ご和讃に
生死(しょうじ)の苦海(くかい)ほとりなし
ひさしくしずめるわれらをば
弥陀(みだ)の悲願(ひがん)のふねのみぞ
のせてかならずわたしける 『高僧和讃龍樹菩薩讃第7首』
と親鸞聖人がお述べになっておられるとおり、苦悩の世界(此岸)に沈んで久しい私達は、阿弥陀様の悲願によって救われる(彼岸)のであります。
ひとくち法話No95 ―諸法会3― より
第96話 十万人講法会(じゅうまんにんこうほうえ)
毎年4月6日より10日までの5日間、本山において桜が満開に咲く季節に厳修(ごんしゅう)されておりますのが、十万人講法会であります。この法会は、真宗高田派十万人講財団が主催する法会ですが、十万人講財団とは、何時から、どんな目的で始められたのでしょう。それは、大正8年(1919)に専修寺(せんじゅじ)第22世の堯猷上人(ぎょうゆうしょうにん)が設立され、御法主を総裁に戴く高田派の護持財団であります。
財団は、檀信徒の皆様からいただいたご懇志(こんし)を基金として運営し、それによってこれまで80余年の歴史を経て今日に至っております。
その主なる事業は、
1、高田派の教学振興
1、布教活動の助成
1、慈善事業の援助
等でありますが、最近では本山における恭敬(くぎょう)研修費や出版物の費用、高田派福祉協会への補助金等にも助成をしております。
協賛いただいた方には、ご芳名を十万人講だよりに掲載されております。十万人講法会には、加入者全員に案内状が差し出され、如来堂において加入者の法名を敬置し盛大に勤行が営まれています。
ひとくち法話No96 ―諸法会4― より
第97話 戦没者追弔法会(せんぼつしゃついちょうほうえ)
如来堂(にょらいどう)西側の位牌堂(いはいどう)には、明治以後の大戦で戦死されたお同行の方々の位牌が安置されています。この法会は、毎年4月11日ご法主殿・ご法嗣殿をはじめ、僧侶、遺族、一般参詣者で賑々しく厳修(ごんしゅう)され、戦死された方々の当時をおしのびすることであります。
親鸞聖人が真実の教えと仰がれた『仏説無量寿経(ぶっせつむりょうじゅきょう)』の一節に
佛所遊履(ぶっしょゆうり) 国邑丘聚(こくおうくじゅ) 靡不蒙化(みふむけ)
天下和順(てんげわじゅん) 日月清明(にちがつしょうみょう) 風雨以時(ふうういじ)
災厲不起(さいれいふき) 国豊民安(こくぶみんなん) 兵戈無用(ひょうかむゆう)
崇徳興仁(しゅとくこうにん) 務修礼譲(むしゅらいじょう) 『鎮国文(ちんこくもん)』
と、説かれています。この文を分かりやすく換言しますと、
「仏が行かれるところは国も町も村も、その教えにさからうようなことはない。そのため世の中は平和に治(おさ)まり、太陽も月も明るく輝(かがや)き、風もほどよく吹き、雨もよい時に降り、災害や疫病などもおこらず、国は豊かになり、民衆は安穏(あんのん)にくらし、軍隊や武器をもって争うこともなくなる。人々は徳をもって思いやりの心で、あつく礼儀を重んじお互いにゆずり合うのである。」とおおせられました。
このような尊い教えをいただきながら、悲惨な戦争が繰り返されているのは、全く悲しいことです。私たちの家庭や日常生活を反省してみますと、親鸞聖人の"世の中安穏なれ 仏法ひろまれ"と申されるおことばがお念仏とともに力強く私たちの心に響いてまいります。
ひとくち法話No97 ―諸法会5― より
第98話 千部法会(せんぶほうえ)
毎年4月12日から17日までの6日間厳修(ごんしゅう)されます。第16世堯圓(ぎょうえん)上人によって始められた法会です。千部という名称は、その昔親鸞聖人が関東に赴かれる途中、人々の生活の悲惨さを目の当たりに見られて、その人々の幸せのために『浄土三部経(じょうどさんぶきょう)』を回数多 く読誦(どくじゅ)しようと思いたたれたという故事にならってつけられました。今でいう永代経法会(えいたいきょうほうえ)のこころです。一般に永代経法会というと、亡くなった先祖が少しでも早くお浄土へ往生してもらうための供養法事(くようほうじ)だと思いがちですが、そうではありません。この法会の主役は亡くなったご先祖です。あとに残った私たちに「仏法を聞きなさい」「お念仏を申しなさい」と呼びかけて下さった大事な法会なのです。私たちが先祖のためにではなく、すでに浄土に往生されたご先祖が、私たちのためにであります。
高田本山では、法会期間中、加入者の法名帳が中央卓に置かれて、法主(ほっしゅ)殿、法嗣(ほうし)殿のご親修(しんしゅう)のもと、多くの僧や一般参詣者で賑々しく厳修されています。江戸時代には、報恩講以上の賑わいを見せていたと伝えられています。
現在、本山の境内には俳人芭蕉の弟子の珍碩(ちんせき)が詠んだ
「千部読む 花の盛りの 一身田」
という句碑が立っています。
千部が始まった当時の賑わいが偲ばれます。(句碑の文字は、第23世堯祺上人の揮毫)
ひとくち法話No98 ―諸法会6― より
第99話 親鸞聖人降誕会(しんらんしょうにんごうたんえ)
宗祖(しゅうそ)親鸞聖人は承安(しょうあん)3年(1173年)の5月21日に、京都の東南にあたる日野の里で誕生されました。幼にして両親と死別し、どんなにか悲しい、淋しい思いをされたことでしょう。9歳で得度(とくど)された時、「明日ありと思う心のあだ桜、夜半(よわ)に嵐の吹かぬものかは」
と詠まれた話は有名です。
聖人は、その後20年間、比叡山で修業に専念し下山後、師の法然上人との出会いに縁(よ)って、遂に他力念仏の奥義を領解(りょうげ)されたのでした。換言すると、私たち凡夫が、ほとけに成るみちすじを明らかにして、これこそ真宗(真実の教え)であるとお示しくださったということです。
降誕会は、普通はお釈迦さまの誕生をお祝いする行事ですが、このように私たちの真宗では、「親鸞聖人は阿弥陀如来の応現(おうげん)である」といただくところから、特に聖人のご誕生を降誕会といって、お祝いの行事にしているのであります。
聖人は、法然上人との出遇いをよろこばれて『高僧和讃』に
曠却多生(こうごうたしょう)のあいだにも 出離(しゅつり)の強縁(ごんえん)しらざりき
本師源空(ほんじげんくう)いまさずば このたび空(むな)しくすぎなまし 『源空讃第4首』
とのべられています。
私たちにとってみれば「親鸞聖人がこの世に出て、お念仏の教えを説いて下さらなかったら、この度の人生も空しくすぎてしまったことよ」ということになりましょう。
降誕会には、聖人90歳のおとしを「祖師寿(そしじゅ)」といい、同い歳の男子のお同行をご本山に招待して、仏縁をともにお喜び申し上げています。
ひとくち法話No99 ―諸法会7― より
第100話 歓喜会(かんぎえ)
日本では、昔から正月と共に盆は年中行事として、遠く離れた人も故郷に帰りお墓やお寺へ参る習慣があります。これは亡き人への追慕が仏縁を通して深められる麗しい風習でありましょう。お盆というと、亡くなった人がこの世に還ってくるとか、他宗では施餓鬼(せがき)といった法要が勤まりますが、高田本山では盆法会を歓喜会と称して、毎年8月14日から16日まで3日間厳修(ごんしゅう)されます。
お盆とは、正しくは盂蘭盆(うらぼん)と言い梵語(ぼんご)のウランバナが原語で救倒懸(きゅうとうけん)と訳します。倒懸とは逆さ吊りのことで、大変な苦しみですがその苦しみから救われるというのがお盆です。
『仏説盂蘭盆経』には目連尊者(もくれんそんじゃ)というお釈迦さまのお弟子が神通力で亡き母を尋ねたところ、餓鬼道に堕(お)ちていました。何とか助けようと努力しましたが、どうしても救いだすことが出来ず、お釈迦さまに助けを求めました。お釈迦さまは、7月16日は夏安居(げあんご)(夏季研修終了の休養日)だから僧侶を招いて、懇ろにお経をあげてもらいなさいとお諭しをされ、母が餓鬼道から救われたと述べられています。
これらのお話から、逆さ吊りの苦は、自己中心の生活、自らの苦を増大しているたとえであり、目連尊者については、我が子可愛いさのあまり、母が貪欲にはしったのは、自分に原因があるとの慚愧の思いからであると味わいたいものです。
真宗でお盆の法会を歓喜会というのは、自分を振り返って慚愧の中に仏恩報謝(ぶっとんほうしゃ)をさせていただき、信心歓喜(しんじんかんぎ)してお念仏申すからであります。
ひとくち法話No100 ―諸法会8― より
第101話 納骨堂法会(のうこつどうほうえ)
本山では毎年11月3日、4日に納骨堂法会が厳修(ごんしゅう)されます。どこの家庭でも、家族が亡くなればご遺骨をお墓に納めてお参りをし、亡くなった方の遺徳をしのびながら、自分の生き方を見定めます。また、本山へも納骨(分骨)を致します。それは何故でしょうか。
仏教では、遺骨を大切にします。それは、亡くなった方々を通して後に残った人々が、阿弥陀さまの摂取(せっしゅ)してやまないご本願によって、必ず救って下さるという教えにあわせていただくからです。
お釈迦さまが亡くなられた時に、お釈迦さまの死を悲しみ、そのご遺徳をしのんで、弟子たちがお釈迦さまの遺骨〔舎利(しゃり)〕を分けておまつりした事が始まりだといわれています。
親鸞聖人のご遺骨は、顕智上人(けんちしょうにん)によって関東に運ばれ、聖人の墓所に納骨されました。
高田本山のご廟にも親鸞聖人のご遺骨が納められています。私たち高田派の同行は、それ以来、親鸞聖人のみもとでお浄土に生まれる幸せを共にしたいという想(おも)いから、本山に納骨する習慣ができて今日に至っています。
納骨堂法会は、法主殿、法嗣殿、僧侶の方々、納骨堂加入者の方々、一般の参詣者で盛大に営まれます。
参詣者一同、お同行の方々ともどもこの法会を機縁として、より一層、同じところで亡き肉親や先祖への感謝のおもいを確かめ、聖人のみもとで仏恩報謝(ぶっとんほうしゃ)のこころをもって聞法(もんぼう)の一時(ひととき)に遇(あ)わせていただきましょう。
ひとくち法話No101 ―諸法会9― より
第102話 御正忌報恩講(ごしょうきほうおんこう)
報恩講は、宗祖・親鸞聖人のご命日である1月16日をご縁にして厳修されます。1月9日から16日までの七昼夜にわたっての法会なので"お七夜さん"の名で親しまれています。文字通り報恩講は、聖人にお礼を申し上げる法会です。それは煩悩具足(ぼんのうぐそく)の凡夫(ぼんぶ)ですから、地獄・餓鬼・畜生の三悪道(さんなくどう)に堕(お)ちて当然の私たちが、お浄土に往生して、ほとけにならせていただくという想像もできない他力念仏の大道をお教え下さったからです。聖人は「この強縁(ごんえん)は多生(たしょう)にも値い難い(あいがたい)こと」として、和讃に
如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も 骨をくだきても謝すべし 『正像末法和讃58首』
と述べられました。私たちは、この和讃を特別に恩徳讃(おんどくさん)と申しております。阿弥陀仏(如来)が「わが名を称えるものは、必ずお浄土のに往生させます」という超世(ちょうせ)の願い〔大悲(だいひ)〕を成就され、お釈迦さま(師主)がこの世に出られて説法され、その道理を三国〔さんごく(インド、中国、日本)〕の七高僧(知識)が正しく伝承されて、ついに「南無阿弥陀仏」が私たちに届けられたのでありました。聖人は、この経緯を自らの喜びとして、くわしくお示しされたのが真宗の教えです。聖人は、このご縁は何ものにも代えることができない尊いことだから「身を粉にしても、骨をくだいても報謝す べし」と最大級のお言葉で申されたのであります。
お七夜さんには、全国から万余のお同行が参詣されて、お念仏の声が絶えません。
ひとくち法話No102 ―諸法会10― より
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