生活の中のことば

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生活の中のことば141~150話

第141話 薫習(くんじゅう)

 香のにおいが、衣服にしみこむさまをいいます。花園を歩いていると、いつのまにやら服装まで花の香りがついてしまいます。
本堂の畳や柱などは、四六時中(しろくじちゅう)仏法に薫ぜられているので、自然と尊く感ぜられます。

―ひとくち法話No141より―

第142話 愛語(あいご)

 「ほとけさまは、いつも私たちの心を見ぬかれて、和顔(わげん)(おだやかな顔)と愛語(あいご)(やさしい言葉)で教え説かれます」と経典に出ています。私たちも、このような、ほとけさまの「和顔愛語(わげんあいご)」のおこころを手本にして生活したいものです。

―ひとくち法話No142より―

第143話 現世(げんせ)〔現生(げんしょう)〕

 私の誕生から亡くなるまでの間をいいます。
 仏教では、生まれてくるまでを前世〔前生(ぜんしょう)〕、亡くなってからを後世〔後生(ごしょう)〕といい、私のいのちは、この三世(さんぜ)を貫いていることを教えています。親鸞聖人(しんらんしょうにん)は「現世利益和讃(げんぜりやくわさん)」とか「現生(げんしょう)に十種の益(やく)」などと、この語を使われています。

―ひとくち法話No143より―

第144話 踊躍(ゆやく)

 「踊(ゆ)は、天にを(お)どるをいう。躍(やく)は、地にをどるをいう。よろこぶこころのきわまりなきかたちなり。」
 これは親鸞聖人(しんらんしょうにん)が、ほとけの教えを素直にいただけた時の念佛者の姿をのべられたものです。

―ひとくち法話No144より―

第145話 雑行(ぞうぎょう)

 『広辞苑(こうじえん)』に、「念仏以外の諸行(しょぎょう)を修めて、極楽往生を願うこと」と出ていますから、この語は、真宗だけで使われている用語でしょうか。さまざまの行法(ぎょうほう)を雑(まじ)えての修行を雑修(ざっしゅ)といい、あわせて「雑行雑修(ぞうぎょうざっしゅ)」と熟語になっています。
 いうまでもなく、真宗はお念仏が専修正行(せんじゅしょうぎょう)であります。

―ひとくち法話No145より―

第146話 光明(こうみょう)

 あかるく輝く光を光明といいます。仏教では一般に、ほとけの智慧(ちえ)を象徴(しょうちょう)して光明といいます。真宗の阿弥陀仏は、特に私たちの迷いの闇を破って、救いの道をお示しくださったので阿弥陀仏を無量光(むりょうこう)、無辺光(むへんこう)などの十二光(じゅうにこう)をもって讃歎(さんだん)しています。

―ひとくち法話No146より―

第147話 涅槃(ねはん)

 煩悩(ぼんのう)を断った悟りの境地(きょうち)。真宗でいえば、「念仏の人は、無上涅槃(むじょうねはん)にいたる」と教えられています。また、お釈迦さまの入滅(にゅうめつ)を涅槃といいます。高田本山では、毎年3月15日に如来堂(にょらいどう)に大きな「釈迦涅槃図(しゃかねはんず)」を掲げて、涅槃会(ねはんえ)がつとまります。

―ひとくち法話No147より―

第148話 回向(えこう)

 めぐらし、さしむけること。
 一般には、自ら修めた功徳(くどく)を、他者の利益(りやく)のためにさしむけることや、仏事を営んで、死者の成仏を祈ることをいいます。
 真宗の回向はすべて、ほとけの本願力(ほんがんりき)のしかからしむるはたらきを回向といいます。

―ひとくち法話No148より―

第149話 寂静(じゃくじょう)

 こころ安らぐ、静かな境地(きょうち)。辞書には「苦なく、欲なく、煩悩(ぼんのう)もないさとりの世界」と出ています。つまり、阿弥陀如来(あみだにょらい)のお浄土の異名(いみょう)です。「西方寂静無為(さいほうじゃくじょうむい)の楽(みやこ)」などと使われています。

―ひとくち法話No149より―

第150話 帰依(きえ)

 神・仏など、すぐれたものを頼みとし、その力を信じ、よりすがること。「世尊(せそん)に帰依したてまつる」「一心に帰依する」などと使われている。帰命(きみょう)と同意。仏教語です。

―ひとくち法話No150より―