生活の中のことば

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生活の中のことば111~120話

第111話 安楽(あんらく)

 本人が、希望により苦痛の少ない方法で死を迎える「安楽死」が話題になっています。
 仏教では、身にも心にも苦痛がなく、安らかで楽なことを安楽と言います。極楽浄土の別名を「安楽国(あんらくこく)」と言い、廻向文(えこうもん)の最後に「願生安楽国(がんしょうあんらくこく)」、「往生安楽国(おうじょうあんらくこく)」とおつとめしています。

―ひとくち法話No111より―

第112話 無量(むりょう)

 量が、計り知ることができないほど、多いという意味です。「感無量」という言葉があります。
 ご本尊の阿弥陀如来のお心を、無量寿・無量光と申しあげるのも、地獄に落ちて当然の私たちをお浄土に救いますという大いなるおはたらきのあるほとけさまだからです。

―ひとくち法話No112より―

第113話 火宅(かたく)

 教えに「この娑婆(しゃば)を火宅に喩(たと)える」とでています。私たちは、煩悩(ぼんのう)に悩まされて、つねにいかり はらだちの心がおこってくるので、それを火事で燃えている家に喩えるのでしょう。この世を「火宅無常(かたくむじょう)の世界」などと使われています。

―ひとくち法話No113より―

第114話 苦海(くかい)

 仏教では、この世を娑婆(しゃば)といい、どこまでも耐え忍んで生きていかねばならない苦しいところと教えています。苦海も娑婆と同意語で、和讃(わさん)には「生死(しょうじ)の苦海ほとりなし」と述べられています。

―ひとくち法話No114より―

第115話 無明(むみょう)

 明かりが無いとは、ほとけの教えを聞くこころが無いということ。自分だけの理屈で生きていこうとする煩悩(ぼんのう)の根本をいいます。親鸞聖人は、そういう私たちを「無明煩悩われらが身にみちみちて、欲も多く、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころ多くひまなくして、臨終(りんじゅう)の一念にいたるまで、とどまらず、きえず、たえず」と教えられました。

―ひとくち法話No115より―

第116話 菩提(ぼだい)

 普通は、自分の努力や修行によって迷いから目覚める事。さとりの境地(きょうち)をいいます。
 しかし真宗では、煩悩を断つことができない私たちに、阿弥陀仏から「そういうあなた達を浄土に救います」と約束される。この阿弥陀仏のおこころを菩提心と説かれています。

―ひとくち法話No116より―

第117話 後生(ごしょう)

 死後のこと。来世(らいせ)、後世(ごせ)ともいいます。
 後生(ごしょう)の安楽(あんらく)を願い、生前に一心につとめることを「後生大事(ごしょうだいじ)」といいます。「後生の一大事」とは、死後の行き先をはっきりさせることです。

―ひとくち法話No117より―

第118話 微笑(みしょう)

 お釈迦さまが蓮華(れんげ)をひねって弟子に示した時、伽葉(かしょう)一人がその意をさとって微笑(みしょう)したという故事があります。これを拈華微笑(ねんげみしょう)といいます。一般にはにっこり笑うこと、ほほえみを微笑(びしょう)といいます。

―ひとくち法話No118より―

第119話 法輪(ほうりん)

 ほとけの教えのこと。
 ほとけの教えは、私たちの煩(わずら)い悩(なや)むこころを打ちくだいて、どこまでも進んでいくので、車輪にたとえた語です。

―ひとくち法話No119より―

第120話 是非(ぜひ)

 良いことと悪いこと。
 ことのよしあし、道理(どうり)のあるなしがわからないことを「是非知(ぜひし)らず」といいます。常識がないということでしょうか。
 法語に「是非知らず、邪正(じゃしょう)もわからぬこの身」ときびしく教えられています。

―ひとくち法話No120より―