御影堂落成慶讃大法会

御影堂平成大修理落成慶讃大法会にて法主殿が拝読された表白

 敬って惟れば、西方教主、極楽能化、阿弥陀如来、妙相を現いて日域の地に降誕し、
 親鸞聖人と号し給う。西土の教文を弘めんがため、はるかに東関の斗藪を跂て、嘉禄二年五十四歳の砌、下野の国芳賀の群髙田の地に専修寺を建立し給い、霊夢を蒙りて善光寺如来一体分身の霊佛・一光三尊を感得し、本尊とし給う。これ本朝念佛の根本道場なり。爾来、真佛、顕智の直弟、相続ぎて法統を伝持し、末世の群萌を化導救済し給う。
 第十世真慧上人、念佛弘興の志止み難く、髙田を出でて諸国を教化し、寛正元年初めて伊勢の地に入り、曽て祖師聖人、寄せ来る浪の音を如意摩尼・如意摩尼と聞き給い 念珠を投げ入れ給いし霊跡と伝うるにより、寛正五年奄芸郡一身田村に寺基を築き、髙田の法統の天身光流に非ざるを講述されし功により比叡山より賜わりし証拠の如来像を如来堂本尊として安置し給えり。ために祖風大いに振るい、髙田中興の祖とす。
 然るに、天正八年、図らざるに祝融の厄に遭い、第十三世堯真上人、その再建を果すといえども、正保二年再び一身田大火の災を被り、山内の堂舎ことごとく焼亡す。然れども伝持の霊像経巻聖教等 奇しくもその厄を免る。これ佛祖広大の守護といわずして何ぞや。
 時に第十四世堯秀上人、老体を顧みず、息男自決の涙を揮って、梁材を浄域に求め柱石を法土に探る。道俗英檀、力を合せ心を傾け、寛文六年造立の功成り、寛文十年九月落成慶讃の縁を結べり。
 それより星霜を重ぬること三百四十年、開山聖人七百五十年遠忌法会を迎うるに当り、平成大修理を発願す。時に平成十二年一月、聖人尊像を御遷座し、大修理に着工す。門末の懇志日夜に増益し、国・県・市、共に多大の支援を賜う。これ正に祖師聖人滅後利益の徳、弥陀善逝巧方便の顕現なりというべし。更めて堂舎を仰げば、その規模の髙大壮麗、筆舌に過ぎ、しかも内に寂静を蔵す。平成の匠、よく往時の志を体し、道場の厳飾を極む。
 本日ここに、御影堂平成大修理落成慶讃法会を勤むるに当り、未来永々に至るまでこの道場に集い、互いに争う心なく、信心を磨き、称名念佛を励まさんことを誓う。
 願わくは師弟芳契の宿因によって、有縁無縁の機を導き給わんことを。

平成二十二年五月十三日

 専修伝燈第二十四世 鸞猷敬白